自分がまだ子どもだった頃、親の言うことが「絶対」だと思っていました。
チョコレートを食べすぎたら鼻血がでると思っていたし、学校はズル休みしちゃいけないモノだったし、飲食店のアルバイトは絶対にダメ!
理不尽に思うこともあったけど、それでも「親のほうが正しい」という思いがあり、時にあきらめながら、時に反抗しながら十代をおくっていました。
その「絶対上位」の親が「いつも正しいワケじゃない」とわかったのは20才の時。
私が海外へ2週間の短期留学を希望した時でした。
両親はどちらも地方の田舎出身。
とくに母は「海外」=「危険な場所」と思っており、
「危ない」
「だまされる」
「ホームステイ先の人になにかされる」
等々、とにかく様々な理由で拒否の嵐。
もう成人していた私は、
そんなアホな。ワイドショーの見すぎやで
と母の価値観に衝撃。
今考えると、娘可愛さの心配だったのでしょう。
私にも娘がいるので、今となればその気持ちもわからなくはない。
でもその時、母の理不尽な言葉を聞いてうすうす感じていた「親の言っていることが正しいワケじゃないんだ」と言うことが、決定的にわかってしまいました。
自分が大人になり、親となってみて思うことは「親が完璧」だなんて完全に子どもの「思いこみ」だと言うこと。
親になったとたん完全無欠の人間になんて、人はならない。
親は子どもが思うよりも不完全な人間で、大人になっても子どもの頃と同じように悩んだり、迷ったりしながら生きている。
とくに自分が親の立場になって、子どもに注意したり、家のルールを決めるときに本当に色いろ考えます。
「私が決めてるこのルールは、子どもには厳しすぎるんじゃないか?」
「今の時代にあってないんじゃないか?」
考え、迷いながらも信念はブレないように。
決めごとは、ときには修正。
間違っていたときは、あやまるように。
完璧な答えなんてないけど、自分の経験などから「ベスト」と思うことを選びながら、家のルールを決めています。
ゆうゆう的まとめ
子どもの頃は、大人はつねに正しいと思っていました。
でも自分が大人になった今、子どもの頃と同じようにささいなことで喜んだり、悩んだり、迷ったりしながら日々をおくっています。
いつか子ども達は私の言っていることが「絶対」ではないことに気づき、彼らの価値観で世界へ飛びたつ日がやってくる。
そんな日がくるまで悩み、考えながら少しでも楽しい生活を子ども達とおくれるよう、今日も大切に過ごそうと思うのでした。
ゆうゆうでした。