近畿を直撃した台風21号。
大阪に住んでいる私たちも3日間停電を経験しました。
段々風が強くなってきたと思っていらたら、あっという間にオソロシイ風雨に。
今日は、台風が来てから電気が復旧するまでの自分たちの行動をご紹介したいと思います。
今後の防災対策などの参考にしてもらえれば嬉しいです。
Contents
停電中の過ごし方
家がゆれるほどの風がふいた台風21号。
停電後は次のような3日間をすごしました。
9月4日【停電1日目】
【7時】 風もなく、晴れ間もあるので洗濯物を外のベランダに干す。
【10時半頃】 暗くなって雨が降り始める。在宅していた夫が洗濯物を取り入れ、念のために物干し竿をおろす。
【12時半】〈昼食〉テレビで猛威をふるう台風情報を聞き、家の雨戸を全て閉める。
【13時】 風雨が急に強まり、台風らしさをここで初めて感じる。
【13時半】 今まで経験したことのない強風を感じる。しばらくして停電。
【15時半】 風雨の気配を感じなくなる。停電で冷蔵庫が使えないため、物置のクーラーボックスを取りに行く。風雨はほとんどおさまっていた。 自転車は全て転倒。植木鉢が道路の真ん中に転がってたので家の中へ入れる。
【16時】 風雨がおさまり外へ。近所の人たちも出て来る。 隣人は車の窓ガラスが割れ、家の前には謎の飛来物。それ以外は幸い周りで大きな損傷は見られず。
【17時】 停電復旧の見込みがなく、営業している銭湯を携帯で検索。いくつか電話をして営業しているスーパー銭湯へ車で出かける。
朝から夕方まではザッとこんな感じです。
とにかく急に風雨が強くなりました。
そして・・・
道路に出てビックリ!
信号機が曲がっていたり、
看板が倒れていたり、
木がなぎ倒されていたり。
思ったより被害が大きかったことを初めて知って呆然としました。
【17時半】 銭湯のチケット売り場が若干混雑し始める。
【18時過ぎ】 お湯から出てくるとチケット売り場は長蛇の列。銭湯内のレストランでは従業員の方が食事がさばけず、夕食は別の場所で取ることに。駐車場から車を出すにも時間がかかるほどの混雑。
【19時】 レストランへ到着。少し並ぶが許容範囲。食べ終わった7時半過ぎには店の外まで長蛇の列。
【20時】 帰宅後、歯磨きなどして就寝。暗いので今日は子どもたちと添い寝。
【1時】 暑すぎて娘が夜泣き。ウチワであおぎながら何とか寝かしつける。
まさか停電するとは思っていなかったので、電気が消えた時にはビックリしました。
「消えてもすぐにつく」と気楽に考えていましたが、いつまでたってもつかない。(汗)
幸いなことに停電は昼におこったので、そのあと色々考えて行動がとれたがよかったと思います。
例えば、
- ランタンや複数の懐中電灯を部屋に用意。
- 着替えの服を用意。
- 防災食の確認と用意。
簡単なことですが、真っ暗闇の中でするのと明るい内にするのとはかなり違います。
洗濯物を畳んでしまっておいたり、食器などを食器棚に入れたり、と暗くなるとできなくなる家事もしておきました。
懐中電灯は複数あったので各自持っていましたが、一番役立ったのはランタン。
広い範囲を明るく照らし、そのまま置いておけるランタンは手に持って狭い範囲を照らす懐中電灯よりも使い勝手がよいことがわかりました。
夜は子ども達と添い寝に。
夜中に子どもがトイレに起きた時などに「一人では対処できないと」考えたからでしたが、エアコンなしで物凄~く暑い中、くっついて寝て寝苦しかったです・・。
銭湯やレストランは人が殺到するので、とにかく早めに行かないと大変なことになります。
夜の8時半に念のために冷凍庫を確認しましたが、まだ氷もあり、牛乳も冷たかったのでトランクに入れ替えました。
そんなこんなで1日目は終了。
9月5日【停電2日目】
【5時半】目が覚める。まだ電気がつかないのを確認。
【6時】身支度をすませ、近所のコンビニへ買い物がてら携帯が充電できないか出かける。ネットで「ローソンで充電できる」との情報を得るも実際は充電出来ず。(店舗による?)
パンやおにぎりは全て売り切れ。自宅にパンや果物はあったのでヨーグルトとハム、牛乳、冷たい麦茶だけ買って帰る。
【7時】家族で朝食。冷えた麦茶を子供たちの水筒いっぱいに入れて学校へ送り出す。
【8時】夫出勤。
いつまで停電が続くかわからないので、洗濯物をお風呂場で洗いました。
水がでるのはありがたかったけど、2時間近くかかり、とっても疲れました。
【11時】家は暑いので、涼みがてらに近所の大手スーパーへ。
途中の信号が停まっており、警察の指導で進んだり道路が通行止めで迂回したりしていつもの倍かかって到着。けれども肝心のスーパーは停電のためまさかの臨時休業で呆然。
【13時】夫と合流し、外食。夫の事務所も停電していることからビジネスホテルでの宿泊を決定。
【14時】子ども達が帰宅。暑い中、宿題をさせてから家族でホテルへ移動。
【16時】ホテル着。
子ども達は電気が使えて大喜び。娘はテレビを、息子はゲームができてルンルン。
ビジネスホテルだからかお風呂は貸し切り状態。食事も待たずに食べることができて助かる。
【20時】
ツインベッドをくっつけて就寝。ただし子供2人は私を挟んで寝るのでシングルベッドに3人で寝る状態で私はグッタリ。
とても狭い部屋で、狭いベッドで、ギュウギュウになって寝たので途中で何度か起きましたが、冷房がきいていて助かりました。
私たちのように、ほかにもホテルへ避難しているご家族が何組かいらっしゃいました。
9月6日【停電3日目】
【5時過ぎ】目が覚める
【6時半】子ども達をおこし、ホテル内のレストランで朝食。
【8時前】学校近くまで子どもたちを車で送る。
【8時】自宅に戻るがまだ停電中。冷蔵庫の中の物を全部取り出し、処分。
折角なので冷蔵庫内の棚を全て取り出し、洗剤で掃除。庫内もアルコール除菌スプレーで掃除してスッキリ。
あとでママ友とお喋りしてたら、みんな停電時に冷蔵庫の掃除をしていたことが判明しました。(笑)
【9時】ホテルへ戻り、ホテル内のコインランドリーで洗濯。
【10時】親や義親へ電話。
【11時半】夫とランチ。ビジネスホテルにもう1泊するか検討。
【13時】ブログ(この記事)を書き始める
【14時】ママ友から電気が通ったとのメールを受け取りすぐに帰宅。スイッチを押すと電気が付き感動! その後、しばらくして娘が学校から帰宅。
以上、停電してからのわが家の過ごし方でした。
たったの3日間で内1日はホテル泊でしたが、私にはこれでも十分大変に感じました。
停電を経験して思ったり考えたりしたこと
当たり前じゃない「電気」の大切さ
まず、当たり前に使っている電気が貴重な物だ、と言うことを強く実感しました。
わが家はオール電化なので、電気がないとエアコンや冷蔵庫、お風呂はもちろん、調理もできません。
カセットコンロはありますがまだ気温が高いため、明るい内に作り置きができない。なので夕食が全く作れませんでした。
原発事故などのニュースで見て個人的には原発反対の意見を持っていましたが、こんなにも私達は電気に頼って生活しているんだ、と強く感じました。
長引くと衛生面が悪化する
これも災害のニュースでよく耳にしましたが、実感したことの1つです。
私たちは水が使えましたが、兄のマンションでは初日は停電と断水のダブルパンチ。この暑い時期にシャワーもできなかったそうです。(2日目に復旧)
そして、手洗いの洗濯がしんどすぎる。頻繁に洗濯はできないと感じました。
また、日中でも台所は少し暗いのでお皿もちゃんと洗えてるか不安でした。
かなりのお店が臨時休業するので普段からの備えが大切
停電したお店は軒並み臨時休業になっていました。
近所のコンビニは稼働しており、牛乳などはコンビニで購入。
こちらは冷蔵庫内の物をほぼ全て処分したので、また一から買い揃えなければいけませんが、お店も台風の影響で暫くは品薄の状態が続きそうだと感じています。
今は「ミニマム」が流行っていますが、品薄の状態を乗り切れるくらいの備えが普段から必要だと感じました。
ガソリンの給油
ガソリンスタンドも閉まっている所が幾つかありましたが、開いているガソリンスタンドに沢山の車が給油に来ていました。
車があるとテレビで情報を得たり、携帯を充電したり、移動もしやすいので、ガソリンが少ない場合は給油に出る必要があると感じました。
大量のゴミが一度に出る
台風の後の道路の掃除や冷蔵庫の中の処理などで、大量のごみが一度に出ました。
お肉や牛乳、バター、マヨネーズから、冷凍しておいた作り置きのおかずも全て処分。
とにかくゴミは沢山出るけど収拾する日は決まっているのでなかなか家からなくなりません。
3日間でしたが空のペットボトルもどんどんたまり、ゴミが物凄く増えました。
ゆうゆう的まとめ
防災については色々考えていたつもりでしたが、実際は停電になっただけでも困ることが続出してビックリです。
今回初めて長い停電を経験しましたが、これが突然来る地震だと断水やケガなどでこんな物ではないと感じています。
もっと真剣に防災を考えなアカン!
子ども達はどうだったかと言うと、学校には電気が通っており通常通りだったので、スーパー銭湯やビジネスホテル泊はちょっとしたイベントの様でした。(笑)
台風の翌朝は天気もよく、朝から太陽が昇りました。
電気が通らなくなっても、木が倒れていても、そんなことは一切関係なく朝はやって来るんですね。そんな当たり前のことに大きな感動と言うか、言葉にできないほどの衝撃を感じました。
最後に、関西電力の方たちが一生懸命復旧作業をして下さり、本当に感謝です。
ゆうゆうでした。